代表の想い

「夢を名前に持つ男」

代表取締役社長 CEO 岡崎 富夢


人間が元気に生きていくために必要なものを、
フランスではvacancesという。

僕は規格外な住宅であるvacancesを通じて、
日本を元気にしたいと心の底から思っている。

なぜそう思うのか。
vacancesが生まれるまでの僕の人生をお伝えしたい。

vacancesの土台は、
父と母が作ってくれた。

僕は山口県の下関市に生まれた。
そして市営住宅で育った。

決して裕福な家庭ではなかった。

父は車の整備士をしていたが、僕が生まれたので、
収入を増やそうと青果市場の卸会社に転職し、
野菜や果物の配達の仕事を始めた。

朝3時に目覚ましがなり、3時半には父は仕事に出かけて行った。

共働きだった。
しかし父は毎日、保育園にオレンジ色のビートルで迎えに来てくれた。

2人で家に帰って、「あしたのジョー」を観るのが
日課だった。

父はワーゲン以外にも中古のBMWの2002に乗っていた。

趣味でヨット(ヤマハのシーホッパークラス)やラジコン飛行機を楽しんでいた。

僕はポケットバイクのレースを小学1年から始めた。

今思うと、うちの父は貧乏育ちだったから、家には執着がなかったのだろう。

その代わり、好きなことにお金を使う人だった。

父は映画や音楽も大好きで、家には立派なオーディオセットがあり、ビートルズのレコードをよく聴いていた。

スティーブ・マックイーンの大ファンで、
映画「栄光のルマン」や「華麗なる賭け」を
よく観ていた。

「栄光のルマン」という映画は僕も幼心にもよく覚えている。
「いつかポルシェに乗りたい。すごい車だ」父はよくそう言っていたものだ。

言うまでもなく、僕は母の影響もものすごく受けた。

母はとてもセンスの良い人で、しかも読書家。
ライフスタイルやファッションに興味のある人だった。

母は複雑な家庭に生まれた。
再婚した継母との折り合いが悪く、早く家から出たいと思っていたそうだ。

そんな折、父と出会った。
優しい父に一目惚れし、19歳で結婚した。

お金がなくても、大好きな人といることを願った母。

そんな2人の家庭に僕は生まれた。
時々喧嘩もしていた2人だったが、愛情にあふれた笑顔の絶えない家庭で、 僕はすごく愛されて育てられたと思う。

読書家の母は、森瑤子さんの小説をよく読んでいた。
ライフスタイルに興味を持ち、「家庭画報」なども愛読していた。
知識も豊富だった。

考えてみると、あらゆる分野で博学だった。
2人でよく「首都当てクイズ」や「歴代首相の名前当てクイズ」をしたりした。

小さい時から母に連れられ、地元のセンスのいい雑貨屋さんによく行った。
そしておしゃれなカフェでランチもした。

僕が服を好きになったのも母の影響だ。

ファッションに興味を持ち始めたのは中学2年の頃だ。
雑誌「ホットドッグ」などを読んで、真似をした。
そしてある日、地元のデパート「小倉井筒屋」に行った時のことだ。

僕がセーターを買おうとすると止められた。

「トムくん、何と組み合わせるの?お洒落は一つのアイテムでは完成しないのよ」。

「プロ中のプロであるアパレルの店員さんが、『このコーデがおすすめ』という意味を込めて店頭にディスプレイを飾ってあるのよ。全部見てきなさい」と。

ぐるっと回ってから母が「どれが一番よかった?」と聞いてきた。

このお店だと伝えたら、マネキンが着ている上下一式すべてを買ってくれた。

そして「ファッションはコーディネイトが重要。全体の組み合わせを考えてから、その上で、合うものを買い足すのよ」とアドバイスしてくれた。

家計は裕福ではなかったのに、僕の感性を磨くことには惜しみなく投資をしてくれた。

そして、中学の頃。
映画「プリティウーマン」を母と一緒に観ていた時だ。
「男ならリチャード・ギアのようになりなさい」そう言われた。

高校2年の時に、森瑤子さんの小説に出てくる男性がつけていた、 クリスチャンディオールのオーソバージュをプレゼントしてくれた。

「こういう色気のある男性になりなさい」と。

以来、僕はずっとオーソバージュだ。
時々ブルードシャネルもつけるけど。

こんな両親の影響があったのだろう。
僕は好奇心旺盛な子に育ち、好きなことをとことん追究する性格になった。

今僕は、六本木と沖縄を主な拠点として生きている。

なぜ沖縄なのか。

それは、高校2年の時に行った修学旅行で大きな衝撃を受けたからだ。

その時、一泊だけ、リゾートホテルに泊まった。

綺麗な海で泳ぎ、プールサイドで本を読んでドリンクを飲みながらくつろいだ。
そしてマリンアクティビティを楽しんだ。

下関で生まれ育ち、その時まで飛行機すら乗ったこともなく、東は岡山県まで、西は熊本県までしか行ったことがなかった。

そんな世間知らずな若者が、初めての沖縄で、しかもリゾートで、 vacancesという体験がもたらす素晴らしい価値に衝撃を受けた。

その後、お金がなかったから、大学は地元の公立大学に進むしか選択肢がなかった。

アルバイトをして、親友と20歳の時に再び沖縄に訪れた。

今はハイアットリージェンシー 瀬良垣になっているが、瀬良垣ビーチで2人、シュノーケリングをした。
言葉にできないほどの美しさに感動した。

そして、大学を卒業し、就職で上京した。

vacancesの審美眼は、
東京で培った。

東京の僕の印象は「ホンモノがある街」だ。

芸能人がいたるところでロケをしているし、
大好きなアーティストのライブは気軽に電車で観に行くこともできる。

上野に行けば、博物館では伊能忠敬の「日本地図」、西洋美術館ではモネの「睡蓮」がいつでも観ることができる。
ちなみに僕が好きなのは、ピサロの「収穫」だ。
彼は印象派という新しい地平を切り拓いたイノベーターだと思う。
そして松方コレクションには敬意を抱く。
ホンモノを日本人に見せたかったという松方氏のその執念には感動すら覚える。
偉人だ。

もちろん、東京はグルメの宝庫でもある。
洗練されたレストランや唸るほど旨い鮨屋、音まで妙味の鉄板焼き店など回りきれないほどある。
正に百花繚乱、ホンモノにあふれた街、東京。
仕事をしながら。
休日はホンモノを見て回り、ゴールデンウィークやお盆はリゾートに出かける。
好きな時に好きなものを好きな人と食べたい。

そして、かねがね、こう思っていた。

自由に生きていきたい。

下関の田舎で生まれ育った1人の若者の大それた願いだったかもしれない。
しかし、それをココロザシにした。

そのために必要な要素は何か?僕は考えた。

僕は受け継ぐ財産はゼロだったから、自由に生きていくためには、 自分で仕事をして稼ぐしかない。

仕事をする時間は、起きている時間のかなりの部分を占める。

好きな事をして自由に生きるには、仕事も充実させる必要がある。

そこで出た結論は、

①好きな事を仕事にする事
②お金を最小時間で稼ぐ事
③自由に遊ぶための時間を作る事

好奇心のカタマリが服を着ているような人間の出した結論だ。

それからその通りに行動した。

僕はテニス部のキャプテンをした経験から、
リーダーとして組織を引っ張り、勝利を手にするのが大好きだ。

赤字組織に単身乗り込み、戦略を立てて皆を引っ張り、黒字化させる。
そういう人生を歩もう。そう考えた。

未来のvacancesのため
経営学を徹底的に学んだ。

25歳の時。
当時はまだ小さい規模だったが、ホンモノのビジネススクールであるグロービスの門を叩いた。
今や日本屈指の学校だ。

そこで、論理思考と問題解決スキル、さらには経営戦略やマーケティングなどのビジネスフレームワークを使えるレベルまで身につけた。
死ぬほど実践して自分のものにした。

ちょうどその頃、不振の事業部の再建を任された。
27歳で26億円、80人の組織の再建だ。
グロービスで学びながら、朝から深夜まで働いた。

朝6時に起きて23時まで働き、深夜はグロービスのケースを読み、土日も予習と復習に明け暮れた。
25歳~27歳の2年間。
平日の夜はおろか、土日も遊んだ記憶がない。

覚えているのは、ゴールデンウィークやお盆だけ。
3泊4日くらいで必ずリゾートに行った。それを目的に働いていたからだ。

当時の沖縄のラグジュアリーの御三家、ブセナテラス、カヌチャベイ、日航アリビラは全制覇し、バリ島やグアムにもよく飛んだ。

グロービスを卒業した2007年も不振事業の再建に没頭した。

ようやく目処がついた頃、悪夢がやってきた。

リーマンショックだ。

マンション関連の建材事業が、壊滅的になった。

リストラも必至な状況だった。

その時、1人の営業マンが、「屋上庭園を木造戸建てでできないか?」とお客様に言われて、相談に来た。

既存の製品では価格が全く合わなかったが、製品開発のリソースを集中し、住宅の屋上用のテラス製品を当時の部下たちと必死ですごいスピードで立ち上げた。
本当に、彼らには感謝しかない。
その製品は大ヒットした。

そして、ラグジュアリーテラスを軸とした住宅のビジネスも考えた。
僕の憧れの経営者であるスティーブ・ジョブズが生んだ製品がある。iphoneだ。
僕は住宅業界のiphoneを作ろうと考えた。

一度は折れそうになった。
しかし骨太のvacancesができた。

そのアイデアを、実行し始めて、軌道に乗りかけたその矢先に、 突然会社からクビを言い渡される。

人生絶頂期での突然の解雇。

色々な理由があるが、一言で言うと、僕の慢心だ。

僕は自由に生きたい。
しかし、サラリーマン経営者では限界がある。

振り返ると、なりたい自分と現実の乖離が招いた結果だったと思う。
己の慢心だったし、今は当時の誰も恨んでもいない。

とはいえ、サラリーマン経営者が突然クビになるとどうなるか。

それまで、年収もかなりあった。

高いマンションに住み、アウディS4に乗り、クルーザーも友達と購入していた。
会員制リゾートホテルの会員権も持っていた。

しかし、収入が突然途絶えた。

好きなことへの探求にすべてを費やしていた僕には、たいして蓄えもなかった。

高級タワーマンションは、2ヶ月前に出ないといけないこともその時に知った。

車も中古で売ると、ローンが逆鞘だ。

保険証もなくなる。
病気になったらどうしよう?お金がないのに実費か?

突然クビになったことで、いろんな人からひっきりなしに電話がかかってきた。

陰で噂されていることも耳に入った。
「アイツは終わった」。

朝起きると怖くて怖くて足がガタガタ震えた。

涙が自然に溢れてくる。

そして、2014年の11月7日の朝7時頃。
僕は自殺しようとした。
浴室のドアノブにタオルをかけて、首を突っ込んだ。

意識が遠のいてきた頃に、電話が鳴った。
普段は切っているのに。

母だった。

開口一番、「今、変なこと考えていなかった?」と。
そして「たかが仕事のことくらいで死ぬな」「死んだらお前を追い込んだ人間の思うツボだ」「何があっても私たちの息子だ。下関に帰ってこい」と。

その日の夜。
今はうちの専務で前の会社では同期だった伊東隆が、実家に連れて行ってくれた。
知り合って16年目、初めてのことだった。

伊東専務のお父さんとお母さんが、すき焼きをご馳走してくれた。
僕は1人じゃない。
感謝してくれる人、応援してくれる人がいる。
人間って本当にうれしい時にも涙があふれるんだ。
しょっぱいすき焼きが旨かった。
ありがたかった。
一生、忘れない。

数日後。
伊東専務が大金を持ってきた。
家庭持ちのサラリーマンが用意できる金額じゃなかった。
そして僕に向かってこう言った。
「お前が起業するならついていく」と。

その日を境に、一度死んだ僕は生まれ変わった。

自分の慢心や弱さにも向き合った。

それまで、自分の経営手腕に自信があった。
しかし、しくじった。大失敗をした。

株も持ってないのに調子に乗ってイキがっていた自分が笑えてきた。

起業後、大親友の河村 建一さん、上念 司さん、西村 龍雄さん、西川 岳志さん、藤本 英二さん、西川 晃司さん、高岡社長、高田さん、吉川潤さん、檜原さん、中村文隆さん、近藤 昭さん、株主の皆さんに助けられ、今がある。

そして、
vacancesの原型が生まれた。

それから、ラグジュアリーテラス「COLORS」を立ち上げて、ここまで来た。

なぜCOLORSなのか。

何もかも失って挫折しそうになった時、尊敬する私のメンターの1人の松山 大耕さんを訪ねた。
座禅を組んだ後、相談すると、彼はこう言った。

「岡崎さんは、小欲(お金やいい車とか)を満たして満足してしまった。だから慢心して、地獄に落ちた。慢心すると努力を怠るし、耳に痛いことを聞かなくなり、地獄に落ちた。」と。

そしてこうも言ってくださった。

「それも含めて、後々振り返れば、この地獄のような挫折の苦しみもトムさんのカルマが落ちたと思えばいいのです。トムさんの人生を彩る素晴らしい出来事だと思える時が必ず来ます」と。

そのアドバイスからヒントを得て、友人や同じ価値観を持つ仲間のために新たな決意をした。

人生を彩る空間を作ろう。

そしてCOLORSが誕生した。

それは単なる屋上庭園ではない。

僕がバリ島やコートダジュール、ドバイをはじめ、
世界の超高級リゾートで体験した感動の数々を多くの仲間たちや世の中の人と分かち合えるものをつくりたい。

まさに、「リゾート の民主化」だ。

そこから生まれてきたのが、COLORSだ。

おかげさまで、創業6年でCOLORSは年間1,200以上のご家庭に毎年納入していただくまでに成長した。

そうしていく中。

仲の良い社長仲間から「勉強会をして欲しい」「顧問に入って欲しい」という話が次々と持ち上がった。

今では株式会社vacancesのCOOである谷川さんとCOO補佐の冨樫さんだが、
彼らが経営する会社の顧問を引き受けた。

僕の経営哲学「営業利益率20%メソッド」を叩き込み、徹底的にPDCAを共に回した。

僕のメソッドは、

①すごい製品すごい売り方
②絞りと集中
③四つの仕事を回す

その3つだ。

地場工務店の社長は、一国一城の主だ。

普通は、僕みたいな人間が顧問に入ってあれこれ言われるのを嫌がる。

はたから見ていたら、自分がリッチになりたい。そのために、社員をこき使う会社さんも世間では散見される。

しかしこの2人は違った。

僕も「遠慮なし」で「本気によくしたい人しか顧問はやらない」と伝えたが、
それでも「ぜひ!」ということだった。

そこで、まずは「すごい製品を創ろう」となり、vacancesの原型が出来上がってきた。

vacancesは、僕が沖縄で所有・運営するvilla COLORSが発想の原点だ。

https://villacolors.pasio.biz/colors/

ここで、ある日、アウトドアテラスに設けたジャグジーのスカイバスに入っていると、
バリ島のシックスセンシズや、カペラウブドバリで観た星空の下での映画を思い出した。
その時「シアターシステムを組み込もう」というアイデアが生まれた。

「家が毎日vacancesのようだとめちゃくちゃ楽しいじゃん!」

僕と谷川さん、冨樫さん、デザイナーの内山さんの4人で興奮しながら作り上げてきた。

僕が行ってきたラグジュアリーな空間やリゾート。
ここですべてをご紹介できないが、
日本では、アマネムとアマン京都はもちろんのこと、沖縄のウザテラスやオリエンタルヒルズ、ヒラマツのプールヴィラは全部泊まった。
都内の最高級ホテルの鮨と鉄板焼きは全部行った。
フィットネスの会員になっているところもある。

バリ島だと、
マンダパリッツカールトンリザーブ
カペラバリウブド
フォーシーズンズウブド
ブルガリヴィラ
ケンピンスキー
シックスセンシズ 。
その他50は泊まっている。

ドバイはアルマーニ ホテルにも泊まった。
あのシャープなデザインは素晴らしい。

僕はお金がない経験から、まずは試してみて、ラグジュアリーな体験をし、それに見合うコスパの良いお店やサービスを行きつけとして長く通う。

あらゆるものにこだわる性格でもある。
ワインをこよなく愛すし、ワイングラスはリーデルが好きだし、ソムリエナイフは当然ラギオールを愛用して拠点ごとに何本も持っている。
服も車も、靴も鞄も、行く店も、調理器具も、あらゆるものに愛用している理由がある。

自分が満足いく分野は、お気に入りのアイテムやサービス、お店を見つければいい。

なければ、自分で創ればいい。

沖縄にvilla COLORSを2棟経営し、 スポーツボートを1台と、ジェット2台を友人と所有して、無人島で夏場は遊んでいる。

無人島でBBQして、ウェイクボードをしたいだけして、プライベートサンゴ礁でシュノーケリングしたいと思ったからだ。

そんなサービスがないから、自分で試行錯誤をして、最近作り上げた。

僕はそういう主義だ。

家は満足できるものではなかったから、自分たちでvacancesをつくっていった。

僕は正直、前回の挫折から、人を信じるのが苦手になっていた。

無意識に、ある程度の距離を置いて付き合っていた。

だから、最初はvacancesを事業としてやるつもりはなかった。

しかし、武漢肺炎が僕を覚醒させた。

そして、この動画を見た。

これは2011年のあすか会議のラストの講演だった。

元アサヒビールの副社長の中條先生の講演だった。

開始1分で涙が止まらなくなった。

陸軍士官学校出身の中條先生はこういった。

「リーダーに最も大切なのは、スキルなどではない。人間力だ」と。

「将を失った隊は全滅する。普段から、弱いモノいじめや不誠実な行動をしていると、将は味方から後ろから打たれて死ぬ。将亡き隊は全滅する。故に、将は部下が富嶽の如き仰ぎ見て、自分の命を犠牲にしてでも守りたくなるほど神々しい人格を備えていなきゃならんのだよ」と。

涙があふれて止まらなかった。

中條先生はこの時、最後にこうおっしゃった。
「世界には繁栄を極めたものの、ローマ帝国をはじめ、滅びた帝国がある」と。
つまり、

①夢を失った国は滅ぶ。
②物やお金の価値が重要視され、心の価値が忘れられた国は滅ぶ。
③自国の歴史を失った国は滅ぶ。

そして、こんな言葉でスピーチを結んだ。
「我が国が、その方向性に向かっているようで、気が気じゃないんだ」と。

僕は幸せなことに、先生とは4回ほど直接お話をさせて頂く機会があった。

その先生も、2014年に鬼籍に入られた。

僕は、愛する我が母国の最大の問題は、若者の夢の矮小化だと思っている。

内閣府の夢調査でも明らかだ。

https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26gaiyou/tokushu.html

将来への希望に関して、アメリカは90%以上イエスで、日本は調査対象国中最低の60%。

経営していてわかるが、描いた状態以上になることはない。

僕は、若い頃はビジネスを成功させることを目的としていた。

それではダメだと今は改めて思う。

何のためにビジネスを成功させるのか?その目的こそが大切だ。

ビジネスの成功は手段にしかすぎない。
ビジネスで成功して得たその影響力で、自らの信念に基づき、この国をより良くするために尽くすことが目的だと僕は思う。

僕が挫折しそうになった時、先にもご紹介した尊敬する松山大耕さんに「慢心を防ぐにはどうしたらいいですか?」と僕は尋ねた。

すると大耕さんはこう答えた。
「大欲を持つこと。大欲とは、世のため人のためになることです。終わりがないから慢心しない」と。
若造だった僕には、当時はピンとこなかったけど、今なら完全に理解できる。

コロナ前までは、業績も毎年確実に伸びていたし、正直、起業直後は軌道に乗せることが必死で、この動画を見る余裕もなかった。

武漢肺炎の前は、日和っていた。

しかし、6月11日の朝のことだ。

今、株式会社vacancesのCOOである谷川さんからLINEが入った。

「僕はあなたの才能を熟知している。天才だ。僕はあなたを絶対に裏切らないし、あなたの足らずを支える。だからvacancesを事業として本気でやりましょう」と。

その瞬間、スイッチが入った。

もう一度、幕末の志士の思いや、中條先生をはじめ、国を愛した先輩方の期待にこたえるためにも立ち上がろう。

もちろんビジネスで成功するためだけの人生ではダメだ。

ビジネスで成功して、我が国のために尽くす。
迎合せずに、叩かれることも恐れずに。

自分の主張を貫き、我が故郷長州の松陰先生や高杉先生に、
あの世でよくやったと言われて迎え入れてもらえる人生にしたい。

目が覚めた。

人間が元気に生きていくために
必要なものを、日本でもvacances と呼ばれる日まで。

僕たちには夢がある。

まずは、僕たちのvacancesを通じて、日本中に笑顔を増やすことだ。

そしてとりわけ、vacancesで育つ子供たちへの夢がある。
成長する過程でいつか、人と違う家に住んでいることに気づく日がくるだろう。
そんな時は、僕の書いたこの文章に触れる機会があればと願う。

この家は、常識に囚われず、大きな夢を抱きながら、
自らの限界に挑戦してくれる子供たち「vacances kids」が一人でも多くこの日本に育ってくれることを願って、
考え抜いて生まれた家なんだ。
それが、vacancesと他の家との大きな違いなんだ。

だから、vacancesを建てると決めたご両親に感謝してほしい。敬ってほしい。
そして愛情にあふれた人間として成長して、いつの日か、
仲間たちといっしょにこの国をより良くしてくれることを心から願う。

そして。
既存の住宅業界に反旗をひるがえし、
リゾートの民主化のためにvacancesを立ち上げて愚直なまでに夢を追いかけ、
奮闘しながら挑戦した人間がいた事を知ってくれたらそれはもう、望外の喜びだ。

それが僕たちの夢だ。

人間が元気に生きていくために必要なものを、
日本でもvacancesと呼ばれる日まで、
僕たちはこの挑戦に、人生をかけます。


令和2年8月1日 岡崎 富夢